ゲームマーケット2010浅草の思い出
そろそろエッセンシュピールの新作の話が出てきましたね。他にもゲームマーケット2020の秋が開催されますね。
ボードゲーマーにとっては出費の多い悩ましい時期に入ったと言えます。そんな時期だからこそ、ゲームマーケットの思い出話をしたいと思います。それでは参りましょう。
【目次】
初参加は2010年の浅草のゲームマーケット
確か動機は当時アメリカ在住だったけど、当時mixiでとてもよくやり取りしていたけがわさんが来日するからと「東京まで行くか!」と決意したはずです。
夜行バスで行きましたが自分はまだ慣れていなかったので、行きの道中に十分な睡眠を取れなかったのは今でも覚えています(あれは慣れが要ります)。
前日ゲーム界でいろいろ遊ぶ
この日にデロンジェの『画商』なども持ち込んで遊びましたね。この日に遊んだ『ラー』は5人プレイの「デフレのラー」でしたが、早いラー宣言でゲームをコントロールしていた記憶があります。
その後宿に泊まってゲームを続けましたね。ちなみにちょっと前にレビューした『ノイ』はこの日遊んだのが最後です。
つまり10年以上前にプレイしたゲームです。まあ、簡単なゲームのルールなのでルールからプレイ感を想像しながら書いても大きく誤ることはないかと思います。
ゲームマーケット2010当日の話
けがわさんの紹介でいろんな人と会いました。その時にベテラン出品者のGCCWさんに商品直接手渡しを提案していたのか、彼ともいくらかやり取りがあったみたいです。当時の自分、謎に行動力あったなあ(笑)とか思いました。
当時はゲームを自由に遊んでよいテーブルがあった
当時はゲームを遊ぶためのテーブルがまだありました。買ったゲームを会場内ですぐに友人と遊べました。ちなみにこの風習はゲームマーケット大阪2012ぐらいまではありましたが、いろいろあって廃止されました。
当時もプレイ用のテーブルだったはずですが、荷物持ちの人がたくさんの荷物を持って座っていたり、ただの休憩所と化していたりしていました。この辺もなくなった原因かもしれませんね。
この日は『コンテナ』と『政治献金ゲーム』(当時は世界200部限定)を遊ばせてもらいました。世界200部限定のゲームをスリーブなしでシャッフルするけがわさんは、僕にはとても豪気な人に見えました。
当時の戦利品
昔は結構ゲーム買う人でした。翌年か翌々年にご一緒したあまきさんに「大人買い」と言われるぐらいには買う人でした。「入場料分を超えるだけのゲームが買えるか」きわどい人になりましたが、当時はめちゃくちゃ買っていました。
いろいろ端折りましたが
リクエストがあればもう少し詳細にお話しても良いですね。当時の日記の記録は手元に残っています。今の考え方を付与したうえでリライトしても良いとは思っています。
他2012の大阪初開催の回のとか結構残してありますね。過去の自分のマメさに感謝です。もし、詳細な話を希望されるならこの記事の紹介ツイートにイイネつけてもらえたらやります。5イイネ貰えたら書くことを約束します。
今日のまとめ
・ゲームマーケット2010浅草の思い出をお話しました。
・当時はアメリカ住まいだったけがわさんに会うことが動機でした。
・いろんな人と会いました。当時の自分は謎の行動力の高さがありました。
・当時はゲームを遊んでよいテーブルが会場内にありました(現在は廃止)。
・この記事の更新ツイートに5イイネ貰えたら詳細な内容を書きます。
以上です。読んで下さり、ありがとうございました。