一言アウトプット「自分で選んだ孤独は辛くはない」
今日の一言アウトプットは「自分で選んだ孤独は辛くはない」です。集団の中で孤独であっても辛い孤独とそうでない孤独があるというお話を簡単にしようと思います。
辛いぼっちの2パターン
まず辛いぼっちのケースは思うに2つあります。
1.自身のコミュニケーション能力の不足が原因で現状ぼっちの人
2.参加している集団の大多数の人が他者・価値観の違う人に無関心に限りなく近い
1の心境はおそらく「自身の能力の不足が原因」という考え方が根底にあって、それが孤独という結果を恥ずかしいとか惨めに思ってしまうという風に僕は考えます。
2のケースは集団や周りにいる人が自身に無関心かそれに近い状態なことですね。会食しているのに携帯ばかりいじっている人とかに囲まれたり、自分と住んでいる世界が決定的に違う人達でかつ、彼らが「自身の興味ある世界の外に積極的に興味を示さない人達」である場合に起こる孤独の辛さです。
こちらは僕もカードゲームの集まりに行くたびにしばしば思うところがありました。価値観が決定的に違う人達の集まりだなと思うことが多かったです。
趣味の話題以外に話すことはほぼなく、携帯をいじっているだけの人も多かったのです。集まりに参加していて強烈な孤独感がありました。今はこういう集まりには参加しないようにしています。正直あまり得るものはないです。
個人的には相手に対し関心のある人と話すための時間に速やかに回した方が幸福度の高い時間を送れるので、価値観が違いすぎる人と長く居すぎないことをお勧めします。
辛くないぼっちについて
逆に辛くないぼっちは自分で選択した孤独です。周囲の人が合わないなとか、自分が今は一人がいいと思っている時とか、とにかく自身の選択の結果による孤独です。
これは正直「孤独」というよりも「独立」といった方が直感的だと思います。「独立」を恥じたり、惨めに思うことまずないと思います。
僕が思うに人生の時間に独りぼっちでない時間はほぼ存在しないと思います。その時に「孤独」になる時間よりも「独立」した時間を増やす方が、人生の幸福度は高くなると思います。僕はそういう人生を目指したいと思います。
■画像引用元
※2:同作者の『無頼伝 涯』