大佐の遊び場

ボードゲーム、本、旅行、日々思うことなどを書き綴るブログです。

Twitterアプリ削除して数日が経過します。

 先日、Twitter視聴時間を減らそうと携帯からTwitterアプリを削除し、パソコンから視聴制限をかけました。

 基本的にはTwitter目線では視聴時間を減らす試みは成功したと思います。ただ、その分Youtubeの視聴時間が増えてしまっているのでなんとかしたいと思っています。

 結果視聴時間を制限してどのような効果があったと思うのかお話します。

 

 はっきりと感じ取れたと思う効果は以下の通りです。

1.多すぎる情報に惑わされることが減った。

2.アウトプットの質の向上。

3.自分の考えに合わない意見を見ることが減った。

4.時間をいつもより確保できるようになった。

5.出先で景色や本などをのんびり楽しめるようになった。

 

■効果1 多すぎる情報に惑わされることが少なくなった

  Twitterは情報収集ツールとしてみればなかなかなのですが、タイムラインはフォロワーのリツイート(拡散)を含みます。そのため自分にとって必要な情報のみを表示してくれるわけではないと思います。

 情報は多すぎると幸福度が下がる情報過多のパラドックスという考え方もあるみたいで、ざっくり捉えると多すぎる情報や選択肢はいいことばかりではないという考え方です。僕はこの考え方をわりと支持しています。

 

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 情報はあればあるほどいいものではないと思います!

 

 必要な情報のみを取捨選択して効率的に収集するリスト機能を駆使することで、必要な時に必要な情報を自分から取りに行く形でTwitterを利用するようにしました。

 

 Twitterを始めとするSNSは明確な目的意識をもって使うと非常に有益な反面、無目的にだらだら閲覧しだすとすさまじい時間泥棒にもなり得ます。使い手のセンスが問われるツールといっても差支えないでしょう。上手くTwitterとそれを見る自分をコントロールしたいものです。

 

■効果2 アウトプットの質の向上

 Twitterのいいところは感想や意見を140文字の制限があるとはいえ、写真や動画まで添付してアップロードできること。しかもそれを手軽に行えることです。しかしその利点はともすれば欠点にもなりうると僕は思います。

 気軽に意見や感想や写真をポンポンとアップロードできる反面、それでアウトプット完了したと思い満足できてしまう厄介な性質があります。

 

 140文字程度ではやはり深く掘り下げて話すのには限度があります。数回のツイートで満足して記事1つ書けるレベルの内容を深く掘り下げないのは、機会的な損失も大きいです。

 考えやアイデアなどは頭の中に長くはとどまってくれません。素晴らしい思いつきや面白い議題などを思いついても140文字のツイート数回で片付けているのはもったいないと思いました。

 

 よっぽど自分が影響力ある人や興味ある人でない限り、ツイートがタイムラインに埋もれてしまうと掘り返してまで見てくれる人はほとんどいないでしょう。

 タイムラインに埋もれたツイートは掘り起こすのは自他ともに大変エネルギーが必要になると思います。それにツイートもしたが記事も書くだと二重に時間と労力を消費しないといけないので、効率が悪いとも思います。

 

 わかりやすくいうとこの前アップロードした「竹田城周辺を散策してみた」という記事は顕著だと思っています。

 これをTwitterで写真とコメントでアップロードすると1つの記事にせず、数回のつぶやきで満足したとします。ツイートと写真で竹田城に興味を持ってもらえることはあるでしょうが、記事ほど余すことなく魅力を伝えるのは難しいと思います。

 ツイートで小出しにして満足してしまうぐらいなら、記事に絞りしっかり作品としての形でアウトプットする。その方が時間や労力を集中でき質の高いアウトプットができると考えるに至りました。

 

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 不用意なSNSいじりはやめてしっかりアウトプット!

 

 ツイートはツイートで気軽にできるのであまり広がる余地のない話題について軽く使う分にはいいと思いますし、僕もそういう使い方は今後もやると思います。

 

■効果3 自分に合わない意見を見ることが減った。

 この効果は劇的ですね!大幅にストレス要因が低減できました。

 やっぱり合わない意見を聞くと自分の意見をツイートで主張したくなりますし、そういうことにエネルギーを割くのは正直あまり建設的ではないと思います。

 良く言えば合わない意見をきっかけに記事の1つでも書けばよいのですが、過激なものになれば自身の所属する派閥や考え方を強く否定するような意見も出てくることがあり得ます。あと、真昼間からエログロ画像が投稿されることすらあります。

 そういうものを心の準備もなく見せられることがあるのはSNSの明確な短所だと思います。

 

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 いきなりグロ画像は反則だろ!って思うときがときどきあります。

 

 さらにSNSをやっていてひどくこじらせてしまうと、僕を敵視している人のツイートを監視してしまうこともあるでしょう。僕自身もそういう時期がありました。

 僕を敵視している人がするツイートを見て人生の幸福度が上がるわけありません。イヤなことがつぶやかれているであろう所に自分から突っ込んでいってイヤな思いをする。これほど馬鹿げたことはないと思います。

 時間とエネルギーを浪費した挙句、ストレスまでたまる最悪の行為なのでやらないにこしたことはありません。できれば今すぐ止めたほうがいいです。

 

 余談になりますが、ホメロスの『オデュッセイア』という話の中で人を歌で誘惑し餌食にする怪物セイレーンが登場します。主人公オデュッセウスは部下には蝋を耳栓をし、自身は柱に括り付けさせて歌を聴くという思い切ったことをします。

 オデュッセウスはセイレーンの歌声を聞くにあたってしっかり準備し、自己の暴走を制御して打ち勝つのです。

 

 Twitterで自分に合わない意見を聞くというのはまさにこのセイレーンの歌声を進んで聞きに行く行為に近いと思います。

 超人オデュッセウスをもってして物理的制御をもってやっと打ち勝つのに、凡人の自分が何の対策もなしに打ち勝てるわけがないと思うのです。一般人である自分は蝋で耳栓をしてそもそも目にしないようにすることが一番だと悟りました。

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 世の中、目にしない耳にしない方が良いこともある!

 

効果4 時間をいつもより確保できるようになった。

 これについては前回の「Twitterアプリを削除してみた」で望んでいた効果なので、そちらをご覧いただいている方には多くの説明は不要だと思いますので簡潔にまとめたいと思います。

 Twitterを見ている機会は出先でも家でもかなり多かった自覚があります。Twitterを呼吸をするように見てしまう習慣がついてしまうと、恐ろしいほどの時間が浪費されていきます。1日1時間見ていれば24日で丸一日になるのでバカにできません。

 それを半分にするだけでも12時間の時間が確保できるのです。時間というリソースだけは誰にでも平等です。Twitterに貴重な時間を浪費させておくのが良しと思っていない方は今すぐアプリを削除し、Webブラウザからは視聴制限をかけることを推奨します。

 

■効果5 出先で景色や本などを楽しめるようになった。

 最後に思うことはこれですね。もともとTwitterをみていたものが読み物や動画サイトになりました。移動中は景色や本を楽しめるように戻りつつあります。

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 読書と景色を楽しむのは僕の人生の質を上げる2つの行為(笑)。

 

 30代前半まではこのように時間を使っていたはずなのにいつの間にかTwitter依存状態になっていたのだと改めて自覚させられました。

 依存状態って脱却できて初めて自分で気が付くところがありますね。依存のもっとも恐ろしいところは依存中の自分は依存を自覚しにくいことかもしれません

 

結論                        

 Twitter制限は結論からいうと「やって良かった」と思っています。

 特に現代社会はSNS、TV、Youtube、ネットゲーム、ソーシャルゲームなどやろうと思えば無制限にといっていいぐらい時間を浪費できてしまう便利な娯楽で溢れています。それゆえにしっかり自己管理して貴重な時間を浪費しないようにしたいですね。

 

 僕個人は今回の試みの中で、まずはSNSに必要以上の時間を割かないよう自身をコントロールしていくことの大切さを学んだ気がします。

 まだまだ時間の浪費問題については課題が山積みですが、1うずつ解決していき実りある人生を目指していきたいです。

 

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 わずらわしいことに囚われないのが本当のバカンスって感じしますよね(笑)。

 

 もしこの記事を読んでTwitterを始めとしたSNSを自己制御しながら使おうと思う方が1人でもいれば幸いです。今回も最後まで読んでいただきありがとうございました。