安易な比較表現は避けるべき
こんばんは、大佐です。今日は最近気づいたことなので、まだ実践面でそれができているか大分怪しい事柄ですが、「安易な比較表現は避けるべき」というお話をしたいと思います。なぜ避けるべきか詳しくお話したいと思います。それでは参りましょう。
【目次】
なぜ比較表現がダメなのか結論
まず大切な結論から参りましょう。比較表現は例えば「『名探偵コナン』より『金田一少年の事件簿』が優れている」という比較をしたとします。
そうすると『名探偵コナン』より『金田一少年の事件簿』が優れているという事実、あるいはあなたの価値観を簡単に伝えることができます。
ここからは簡略化するために「コナン」をA、「金田一少年」をBと置き換えます。AとBに当てはめるものは自由にしてください。
まずこれは比較されたAが好きな人の気持ちは無視している表現といえます。ここが本日の一番の大切なところです。例えデータからみて総合的にBが優れている事実を実証したとしましょう。それでも、Aが好きという人は必ずいます。
僕はその人達の気持ちを無視する表現だなと最近気づきを得ました。なので安易にAよりBという表現を使わないことが大切だなと考えたわけです。
比較表現は例えば「A>B」ならのB支持者の心象を悪くする
仮に客観的に多くの事柄からA>Bという結論を導きだしたとしましょう。しかし、人間はそう論理を軸に物事を考えることができない生き物です。
今までAが好きだったけど、データ的にはBのが優れているからB派に乗り換えますとはなかなかいきません。Aが好きな気持ちをスイッチのように切り替えて無にはできません。
論理軸に行動できるなら、お酒は体に悪いから止めようでスパッと止められますし、多くの公営ギャンブルは期待値が悪いから止めようと止められてしまいます。
そんな機械的な判断ができる人はそう多くありません。むしろできない方が普通です。人は論理を軸に決断することは難しいのです。
このことから僕は感情を軸に行動するのがノーマルであって、論理を軸に決断・行動をするのは訓練が必要と考えています。全員が論理軸で決断・判断できるわけではありませんし、できる人も全ての事柄を論理で割り切るようなことは難しいはずです。
なので安易に「AよりB」と言って、例え論理的に正しくても感情を害するようなことはしないほうがいいと僕は思いました。最低でも個々人への感情への配慮はしたうえで使うべきだなと僕は思います。
よく使ってしまいがちな比較表現
とはいえ比較表現というものは、僕たちが殆ど最初に思いつく「数値化の難しい事柄の表現方法の1つ」です。子供のころに数値を知らないものや、数値化の難しいものを伝える時に「リンゴより甘い」とか「カレーより好き」みたいな表現を使います。
もう子供のころから使う表現なぐらい比較表現は基本的な表現方法なのです。なので、比較表現は本能的に使いやすい表現だと考えています。それぐらい基本的でわかりやすいからこそ、安易に使ってしまうのだとも僕は思います。
文章の上では気を付けられても、言葉の上で使わなくするのはなかなか難しいなと思っています。今後は頑張って減らしていこうと思います。
具体的な行動案「比較表現を安易に使わないこと」
最後になりましたが、当記事中での「安易に」というのは「比較された側の感情への配慮を忘れないこと」だと僕は考えています。最後に持ってきた方が効果的だと思い、大切な定義ですが最後に持ってきました。
感情への配慮を忘れないよう比較表現を使うことで、比較表現の長所の「伝わりやすさ・わかりやすさ」を享受できると考えています。
共感してくださった方が居れば是非、明日から是非実践していきましょう。比較される側が好きな人への感情への配慮を忘れないだけで、より一段レベルの高い評論記事がかけるようになると僕は信じています。
今日のまとめ
・AよりBの安易な比較表現は避けるべきという話をしました。
・AよりBの比較は比較されたA側の心象を悪くしやすいです。
・人は論理より感情で判断することが多いです。感情を完全に無視してはいけません。
・安易な比較表現とは「感情への配慮のない比較表現」を指します。
・安易な比較表現を避け、ネクストレベルの比較表現を身に着けていきたいですね!
以上です。読んで下さり、ありがとうございました。